ここでは「私とベトナム夜遊び」について話すことを通じて、私ベト迷人の自己紹介としようと思います。
私とベトナム夜遊びの出会いは、2013年の中国・河口に遡ります。
河口はベトナムとの国境沿いの町で、当時そこに巨大なベトナム置屋街があったのでした(河口の置屋は2019年に壊滅)。
なぜベトナムではなく中国なのか疑問に思うかもしれませんが、それを説明するにはさらに遡り、私の夜遊びとのそもそもの出会いから話さなければなりせん。
そのほうが私という人間について理解しやすくなると思います。
1. 私と夜遊び
私が夜遊びをするようになったのは20代後半で、たぶん比較的遅いほうでしょう。
それ以前は「夜遊びはお下劣なもの」と生真面目に思ってました。
20代の頃の私はある夢を追いかけていて、そのために東京に出てきていました。
就職をせずアルバイトをしながらがんばっていたのです。
女遊びはおろか遊びらしい遊びもしない、夢にすべてを捧げた青春時代でした。
その夢が、20代後半に完全に挫折しました。
それまでひとつのことしかやってこなかった私は、完全に空っぽになりました。
生きる意味も見出せず、かといって死ぬ勇気もない。
就職する気にもなれず、アルバイトをしながら惰性で生きていました。
人生を諦めきっており、どん底にいたい気分から貧民窟のあるといわれる町に引っ越しもしたくらいです。
そのころ自暴自棄の気持ちで始めたのが、夜遊びでした。
「もうどうでもいい、夜遊びでもなんでもやってやれ」という気分だったのです。
それから泥沼にハマるように、夜遊びにハマっていきました。
はじめはソープに行ってましたが、ソープって若い娘のいる店は値段が高く、安い店にはおばさんしかいませんよね。
どうせなら若い娘と遊びたいと思った私は、いろいろ情報をかき集めた結果、当時隆盛を極めたチャイエス(チャイナエステ)に行きつきました。
知ってる人もいるかもしれませんが、チャイエスは若い中国娘と1万で基盤できたのです(今もそうかな?)。
それからチャイエスにずぶずぶハマっていったわけですが、ある時ひとりの中国娘に出会いました。
ネットで人気だった娘で、どんなものかと入ってみたのです。
実際会ってみると顔はたしかにかわいくもありましたが、私の好みではないという第一印象でした。
しかし今でも鮮明に覚えてますが、その娘が上着を脱ぐと素晴らしく綺麗な胸が露わになりました。
微乳ではありましたが、真っ白で乳首はピンク色。
女遊びの経験は浅かったですが、今までこれほど美しいおっぱいはついぞ見たことがありません。
私がそのおっぱいに釘付けになっていると、彼女は「見てるー」と笑いました。
その日から私は、その中国娘に夢中になりましたw
彼女はよく言えば昔のモーニング娘の田中れいなに似たところがあり、特筆すべきはその肌の美しさでした。
さらさらすべすべの美白で、肌触りが最高 ♪
その中国娘に私は毎週のように会いに行き、そのために仕事も増やしました。
彼女と仲良くなりたいがために中国語も勉強しましたし、ついには話題作りのために中国にまで行ったくらいです。
それがはじめての海外旅行だったのですが、それは私に新鮮な衝撃をもたらしました。
いろいろな中国人と出会い、大変充実した楽しい旅行でした。
日本に帰国してからも例の中国娘に入り続け、できればもっと仲良くなりたかったのですが、その娘とは結局嬢と客の関係が変わらぬまま終わりました。
引退することになっても何もできず、私は彼女に会えなくなったのです。
しかし今から思い返しても、不思議とその頃の記憶があまりありません。
悲しかったはずですが、意識は次に向いていたようです。
その頃の私には、中国に行こうという計画がありました。
はじめに中国に行った思い出が忘れられず、あそこに住みたいという思いが日増しに募っていたのです。
中国語が好きだったこともあり、思いきって中国に留学することにしました。
それから猛烈に働いて留学費用を稼ぎ、一年間中国に留学したのです。
その一年間は私にとって忘れられないものですが、ここではそれには触れません。
ここは私とベトナム夜遊びとの出会いを説明する場なので、そういう真面目な話は置いておきましょうw
ここまできてようやく、河口の話ができるようになったわけです。
2. 私と河口
中国に来てからも日本人だからといってモテるわけでも全然ない私は、勉強と生活の面では充実しつつも、女に関しては砂漠状態でした。
そこで大型連休に中国各地を旅行しては、夜遊び場所を探してました。
印象に残ってるのはマカオのサウナと、当時「東洋のアムステルダム」とも「性都」とも謳われた东莞(ドンガン)です。
どちらもよくて、とくに东莞にはオキニができたこともあり2回も訪れました(东莞の置屋は2014年に壊滅)。
しかし遊び代がやや高いのが問題でした(マカオも东莞も日本円で1万くらいしたと思います)。
留学中ということもあって資金に限界があった私は、もう少し安く遊べないかと思案に暮れました。
中国語の勉強は完全にそっちのけですw
そこでネットで調べた結果、見つけたのが河口です。
河口ではベトナム娘と一発100元(当時のレートで1,700円ほど)で遊べるとのことでした。
当時ネットでは河口の情報は比較的少なく、画像もあまり出回っていないこともあって闇に包まれた感じでした。
ただ河口の置屋が、「人肉市場」と呼ばれていたのが印象的でした。
そんな怪しさもさることながら、雲南省の奥地でベトナムとの国境沿いという秘境っぽさも私を惹きつけました。
そこで学校の長い夏休みに行ってみることにしました。
寝台列車で丸二日かけて雲南省昆明(クンミン)まで行き、さらにそこから長距離バスに7時間揺られるという長旅でした。
そうして着いた河口は、まさに南国。
椰子の木が茂り、涼しかった昆明と同じ雲南省とは思えぬほどの暑さです。
河口のバスターミナルからベトナムとの国境沿いまでタクシーで移動し、ネットで有名だった吉慶大酒店に宿を取りました。
そして夜に置屋へ行ってみたのです。
当時河口の置屋は越南城ができるずっと前で、旧館・新館・別館の時代です。
置屋の中心は旧館・新館で、そこは不思議にも1階は普通の土産物店が何軒も入る建物で、その2階3階に無数の置屋があるのでした。
私が階段で2階に上がると、薄暗がりの中に大勢のベトっ娘がひしめき、大賑わいでした。
そこでは客が置屋前を通ると、女の子たちに猛烈に腕を引っ張られるのです。
これにはびっくり仰天で、これほど女の子に求められたことのなかった私は「不要〜(やめろよ〜)」と言いつつ顔はにやけていましたw
この河口に1週間ほどいたでしょうか。
私はすっかり河口が好きになりました。
安く遊べるということもありましたが、それ以上にベトナム娘の魅力に取り憑かれていました。
ベトっ娘は日本人好みのかわいい娘が多く、なにより引かれたのがその肌の白さ。
さらさらすべすべもちもちな肌で、美白娘が非常に多い。
中国娘よりいいのではないかと思いました。
その後留学中に2回、秋の大型連休と1月の帰国前に再び河口を訪れました。
中国に何を勉強しに行ったのか分からないくらいですw
これが私と河口との出会いであり、ベトナム夜遊びとの出会いでした。
3. 秘境の時代
中国留学から帰国後も河口のベトナム娘が忘れられない私は、定職にもつかずに派遣で働きながら、旅費を貯めては河口に行く生活に陥りました。
そのころ河口のほかに、同じ雲南省の「富寧(フーニン)」にも巨大なベトナム置屋街を見つけました。
もともと富寧に置屋があるという情報は断片的にしかなく、河口以上に闇のベールに包まれていました。
そんな富寧になぜ行こうと思ったかですが、中国のネットに富寧のことを美しい町だとつらつら綴られていたからです。
そんな美しい町ならたとえ置屋がなくても一度行ってみようか、というのがきっかけでした。
そこで実際行ってみると、思いもかけず巨大なベトナム置屋街があるではありませんか!
それは河口にも勝るとも劣らない規模でした。
いまでも疑問なのですが、国境から遠く奥地に入ったあんな辺鄙な田舎町に、なぜあれほど巨大な置屋街があったのか・・・。
それはともかく富寧がすっかり気に入った私は、旅行のさいは河口とともに富寧にも行くようになりました。
しかし2017年に富寧に行ってみると、残念なことに置屋街は潰れていました。
しょうがないから河口に戻ろうかと思いましたが、その前に富寧で連絡先を交換した嬢にメールを送ってみることにしました。
何人かに送るとそのうち2人から返信があり、私はいまここにいると伝えてくれました。
それがなんとも意外なことに、二人とも同じ場所を指すのです。
そこは雲南省の遥か東、広西省のとある町でした。
一人だけが言うなら気にもとめなかったでしょうが、二人とも同じ場所となると何かがあるにちがいありません。
そう思った私は河口には戻らず、思い切って広西省に行ってみることにしました。
ベトナムの国境からも比較的近く、出国しやすいという点も後押ししました。
そうして富寧から列車に乗り、はるばる訪れた広西省。
くだんの街は、河口や富寧とは比べものにならぬほどの大きな街でした。
二人の嬢がいるという場所の近くに宿を取り、夜が更けてからそこに出向いてみました。
すると案の定ありました、巨大なベトナム置屋街です!
ここもまた河口に匹敵するほどの規模でした。
この置屋のことはネット上ではまったく皆無で、まさに秘境に行き着いた感がありました。
この広西省で中国滞在可能期間ギリギリまで遊び、そのあと国境の町「東興(ドンシン)」からベトナムに出国しました。
ベトナム側の町は「モンカイ(Móng Cái)」ですが、そのモンカイでもたまたま置屋街を見つけました。
ただそこは広西省の置屋ほど大きくなく、言ってみれば河口に対するラオカイのような感じでした。
そのモンカイの置屋でも遊んだあと、ハノイに行き帰国しました。
それ以降の旅行は、広西省を目指すことにしました。
河口でも全然よかったのですが広西省のレベルも同様に高く、結局良い嬢に会えるかどうかは運次第で、場所はどちらでもいいという結論に達しました。
当時の河口は「越南城」の時代で、ネットでも結構騒がれていたこともあり日本人がわんさか来ていました。
それに比べて広西省の置屋街は誰にも知られず、ひっそりと地元民が来るだけ。
そんなローカルで秘境然とした雰囲気がよく、またその町も居心地がよかったこともあって、結局広西省で遊ぶことにしました。
旅行ルートはハノイに入国したのち、途中ドーソンとモンカイに寄って広西省。
そんな夜遊び旅行を2年ほど続けていましたが、2019年に広西省を訪れてみると置屋街は壊滅していました。
置屋だった家はすっかりもぬけの殻で、デリヘルがただ細々と営業しているだけ。
デリヘルのママさん曰く、往時の1/10以下に減ったと嘆いていました。
そのデリヘルで遊んだベトっ娘たちは意外にかわいく、質は高かったです。
かわいい女の子はいましたが、しかしいかんせん女の子の数が少なすぎる。
それでモンカイに戻り、これからどうしようか、ラオカイにでも行こうかと思案に暮れました(河口もすでにその頃には壊滅していました)。
しかしその夜モンカイの置屋街に行ってみると、広西省の置屋が潰れた影響か、思いもかけず嬢のレベルがにわかに上がっているのを感じました。
しかもそこで私好みの美少女を発見しました。
そこでラオカイは遠いということもあり、その旅行ではモンカイに滞在し続けることにしました。
実のところそこでは何人かの記憶に残るほどのかわいい女の子と遊ぶことができたので、モンカイにはいい思い出しかありません。
そしてその翌年、コロナが始まりました。
時は飛びますが、コロナ後にモンカイを訪れてみたところ、私の通っていた置屋街は軒並み壊滅していました。
こうして私の知る国境置屋は、ことごとく壊滅したことになります。
コロナ前の最後に行ったベトナム旅行で、私の秘境時代は実質的にも終わりを告げたのです。
4. 私とベトナム夜遊び
コロナ後に再びベトナム夜遊びを再開した私は、あいかわらず旅行中心・夜遊び中心の生活です。
不惑を過ぎてなおベトナム娘に迷う日々。
でも現在の私はかつての青春時代の真っ暗な暗闇の中より、ずっと明るい場所で生きています。
いわば迷うことに迷いがないw
「迷」という字は中国語では本来の「迷う」という意味のほかに、「夢中になる」という意味があります。
夢中になることは悪いことではありませんよね。
そこには少なくとも情熱があります。
情熱は生のエネルギーであり、生そのものです。
さまざまな偶然と不思議な出会いとから、ふと迷いこんだベトナム夜遊びという森。
そこは正規の道から外れたと見えつつも、実のところ思いもかけず恵み多き道で、その奥地には汲めども尽きぬ生の泉が隠されているのでした。
夜遊びってどこか、宝探しに似ていると思いませんか。
そこには、絶世の美女というお宝が眠っている。
実際これまでも超絶かわいいベトっ娘と遊べたことは、一度や二度じゃありません。
あなたもベトナム夜遊びという“現代の宝探し”をしてみませんか?
「ベトナム夜間秘行」ではベトナム夜遊びという迷宮に迷いこんで久しい私ベト迷人が水先案内人となりながら、あなたがこの迷宮で迷子になることなく”正しく迷い”、お宝にありつけるようお供します。
5.当サイトの運営方針
1.目的
当サイト「ベトナム夜間秘行」の目的は単純明快で、それはあなたがベトナム娘と夜遊びできるよう必要な情報を発信するというものです。
とりわけベトナム夜遊びがはじめての方、慣れていない方を対象にしています。
もしかしたらベトナム夜遊び上級者やマニアの方にとっては、知っている情報ばかりでつまらないかもしれません。
一方ベトナム夜遊びがはじめての方には、ためになる情報があろうかと思いますし、そうありたいと思っています。
「ベトナムに行ったことがない」、「海外旅行自体はじめて」という方でも安心して夜遊びできるよう、必要な旅行情報も豊富に掲載してまいります。
2.実際の体験に基づいた情報
当サイトでは、私が実際にベトナム夜遊びした体験に基づいて記事を書いております。
ネット上のサイトの中には、ベトナム夜遊びについて書かれていても、おそらくベトナムに行かず夜遊びもせずに書いているものがあります。
そのように空想で書くことなく、私が実際に夜遊びしてよかったこと、悪かったことなどを実体験に基づいて書いていきます。
その際、物事のいい面・悪い面をはっきり伝えていきたいと思います。
3.情報は無料
当サイトの情報は無料です。
安心して読み進めてください。
4.ベトナム夜遊びに行こう
ベトナム娘は日本人好みのかわいい娘が多く、肌は東南アジアとは思えないほど色白で綺麗です。
そんな綺麗な女の子と、日本で遊ぶよりずっと安く夜遊びできます。
たとえば有名なドーソンでは、日本円で2,200円ほどで若い女の子と遊べちゃいます。
ホーチミンの日本人街エロマッサージのように高いところでも、だいたい15,000円程度です。
日本のソープに行ったら、5万円かそれ以上はするのではないでしょうか。
ベトナムは美女大国と謳われるごとく、街を歩く女の子もかわいい娘の比率が高いですが、置屋街も例外ではありません。
日本では絶対遊べないようなハイレベルな女の子とのセックスも夢ではありません。
今すぐベトナムへ夜遊び旅行に行きましょう ♪
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